横山裕さんが、母子家庭育ちで苦労人だったことを、皆さんは覚えていますか?
アイドルとしてすっかり有名になった横山裕さんは、3歳で両親が離婚している母子家庭てそだったそうです。
最近、24時間テレビのチャリティーランナーに選ばれ、生い立ちや家族についてメディアで書かれ、再び話題になっているようです!
「どんな家庭だったの?」「生い立ちについて知りたい!」
そんな疑問を解消するため、情報を収集しました。
横山裕のプロフィールと家族構成

本名:横山 侯隆(よこやま きみたか)
生年月日:1981年5月9日生まれ(2025年 44歳)
出身地:大阪府大阪市
身長:身長176cm
血液型:A型
家族構成:母(2010年他界)、弟2人/横山勤(ツトム)・横山充(ミツル)
1996年、STARTO ENTERTAINMENT(旧:ジャニーズ事務所)に入所。
2004年、SUPER EIGHT(旧:関ジャニ∞)のメンバーとしてデビュー。
SUPER EIGHT(旧:関ジャニ∞)として活躍しているアーティストで、メンバーカラーは黒色。
担当はパーカッション、ギター。アイドル業を主軸とし、俳優やタレントなど幅広く活動。
自身のキャラクターやトーク力の高さから、バラエティ番組の司会や出演も多数!
横山裕は母子家庭育ち?義父と馴染めず複雑な家庭事情

横山裕は、3歳の時に両親が離婚して母子家庭に。
その後、5歳の時に母親が再婚。義父兄弟が2人誕生。6歳年下と8歳年下の弟は、やんちゃだった当時の横山裕のカンフー遊びの格好の的になっていたのだそう。
義父は血のつながっている弟2人を可愛がり、横山裕には厳しかったのだとか。
新しい父親を受け入れることができず、「横山のおっさん」と呼んでいたといいます。
横山裕は、「お父さんと呼べ!」と義父から叩かれたことも。
また、義父と馴染めなかったため、同じ団地に住んでいた母方の祖父母宅で過ごした時期もあったのだとか。
そんな中、横山裕が小学校5年生(10歳)の頃、祖父が体調を崩し、祖父母と家族全員(7人)で再び一緒に暮らすことに。弟とは仲良くやっていたものの、義父との関係はますます悪化していったと語ります。
横山裕は中卒で苦労人?家計を助けるために建設会社でアイドル活動

義父は横山裕に対し、中学卒業後はすぐに働いて稼げ!と強いたのだそう。母は仕事を掛け持ちして、朝から晩まで働く姿を見ていた横山裕。
義父への反発と、家計を助けなければという思いで、高校に進学はせず建設現場で働き始めました。
一方、芸能活動のきっかけは、中2の頃母親が履歴書をジャニーズ事務所に送ったことがきっかけ。
中3からジャニ―ズ事務所に所属し、家計のために建設会社で働きながら芸能活動をしていたといいます。
建設現場で仕事を終え、ニッカポッカのままアイドルの仕事に行き「夢を売る仕事なんだぞ!」と
叱られたことがあったのだそう。それ以来、
ニッカポッカは駅で脱ぎ、私服に着替えてからアイドルの現場に行っていた、と語っています。
当時働いていた建設会社は、大阪府此花区にある松村建設。
横山裕の仕事は、建設現場の足場を組んだり、壁をはつる(削る、切る、壊すという意味)こと。がれきを片づけたりもしたのだそう。
アイドルがうまくいかなければ戻ってこいよ、と言って送り出してくれた建設会社は、
同年代の仲間もいて、人間関係も良く楽しい職場だったのだとか!
独り暮らしをしながら働いていた16歳の頃、母親に癌が見つかり、義父とギクシャクした末に離婚。
16歳で一家の大黒柱になった横山裕は、
「弟たちが一人前になるまで絶対に俺が面倒をみる!」
「オカンと弟たちのためにも、この道(アイドル)で成功したい!」
何としても!という気持ちで、建設現場と芸能活動に励んだといいます。


まとめ|横山裕は母子家庭育ち?中卒で建設会社で働きながらアイドルしていた!
という事で、今回の記事は、
横山裕は母子家庭育ちで、中卒で建設会社で働きながらアイドル活動していた!
と言う内容について説明させていただきました。
特別な事ではなく「それが自分にとって普通だと思っていた」と言う横山裕さん。
華やかなアイドル業の水面下で、ひたすらに家族を支えた家族愛が素晴らしいですね!
横山裕さんの今後の活躍から目が離せません!
ではまた。
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